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痛みがなければ学べない。

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(ネットからの抜粋です↓)


このケースが特異なものでないことは、例の鑑定番組を見ていてもよくわかる。

「骨董歴ン十年」などというオヤジが出てきて本人評価額1000万円、などと言っていたものが
1000円だったなどというのは、一つの「お決まりパターン」になっている。

それほどよくある話ということだ。

なぜそんなことになってしまうのか。


キャリアもある。

評論家のように眺めているだけでなく、自ら買うという行為も行っている。

だぶん、勉強もしている。

勉強しているからこそ「これは1000万円の名品」などという発想に至るのである。

けれど、何かが足りない。

足りないから鑑識眼に重大な欠陥が生じてしまう。

その足りないものとは何なのか。


それは「売る」ということなのではないかと睨んでいる。

先の元建設会社社長のケースでいえば、彼はこれまで「買い一辺倒」だった。

資金に余裕がある者だからこそできることだろう。

膨大な時間と資金を投入して大コレクションを作り上げたが、すべて贋物だったという
「お決まりのパターン」を演じてしまう人は、おおむねそうなのではないかと思う。


これに対してプロの古美術商は、買うだけでなく売る。

今日「目利き」として知られるコレクター、例えば青山二郎や白洲正子といった人たちも、
買って溜め込む一方ではなく、資金確保のために所持品を処分するということを頻繁に
繰り返していたようだ。

こうして手にした資金をもって欲しいものを買い、高揚感を味わう。

それが糠喜びでなかったかどうかを、その後にそれを「売る」という行為によって自ら知るのである。

そこに、大きな喜びや痛みを伴うことも見逃せない。

もし、勇気をもって買ったものが贋物であれば、金銭的にも大きな損失となる。

プライドも傷つく。

その痛みが自省という行為につながっていく。

それがあってこそ、人は本当に学べるのではないかと思うのである。
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by lootone | 2011-09-19 17:21 | ・ある出来事と言葉