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Cappy Haradaの手記

私は情報将校としてこの攻撃を目の当たりにしました。
同じ日本人の血が流れている者として、突っ込んでくる勇気に涙しました。
特攻を見ての衝撃は私の人生を変えました。

水平飛行で突っ込んでくるゼロに浴びせる銃弾はありません。
フレンドリーファイヤー(同士討ち)を引き起こします。
もう見守るしかありません。
これで終わりかと思ったとき波が翼にかかったのです。
ゼロが波間に横転したのです。
私は死んだであろうパイロットに敬礼しそうになりました。
しかし、米軍の将校としてそれは出来ませんでした。

と、双眼鏡を覗く監視員が、パイロットが生きている、というではないですか。
私は思わず撃つなと叫びました。
憎悪と恐怖で撃ってしまうのではないか、と恐れたのです。

でも、それは杞憂に過ぎませんでした。
パイロットは沈み行く愛機に乗って、米軍艦に敬礼しているというのです。
そのパイロットを撃つアメリカ軍人はいません。
救助してくれと私は懇願しました。
もちろん米軍はそのつもりでした。
しかし、パイロットは愛機とともに運命をともにするつもりでしょう。
時間がない。
銃で撃って傷つけてでも救うかという意見が出た。

その時、パイロットの意識が切れたのか敬礼しなくなった。
ボートが出されパイロットが拾われた。
驚いた。
少年兵だった。
情報将校である私の前に連れてこられた少年航空兵は
しくじったことを泣きました。
タバコを与え、落ち着くのを待ちました。
しかし、拳銃を貸せと言いました。
どうすると聞くと自決するというのです。
それから号泣しました。

翌日の尋問も同じでした。
鎮静剤を与えました。
三日目、「もう生き残ったのだ。これから生きると言うことを考えたらどうだ」、
と言いました。
すると、「存分に生きた」、というではないですか。
そして、「もう一度、生きるなら飛行機を一機くれ」、と私に言いました。
「何に使う?」

 「もう一度、特攻をかける、そして戦友の後を追う。悠久の大義に生きる」
と言ったのです。

私は衝撃に震えました。
その日から、私はCappy Haradaから原田恒男に戻ったのです。
戦後、私は東京に進駐しました。
そして日本のプロ野球を復興させていただいた。
高校野球を復興させてもらいました。
戦後初めて、後楽園に日章旗と君が代を甦らせました。
私の耳には、「もう一機、飛行機をくれ」と言ったレイテでの少年兵の声が
今もあるのです。

生き残った私はイチローを追い、松井を追いかけています。
でも、目をつぶるとこの若者と少年兵が重なります。

カモン・ジャパンボーイ。私の誇りだ。

by Cappy Harada



「悠久(ゆうきゅう)の大義(たいぎ)」
果てしなく長く続く、国家・君主への忠義や親への孝行


[キャピー原田:Cappy Harada]

日系アメリカ人。
日本名:原田恒男。

ダグラス・マッカーサー元帥に仕え、親善野球を通じて終戦後、
アメリカ占領下にあった日本の傷を癒すのに尽力した。

のちにニューヨーク・ジャイアンツ(現・サンフランシスコ)でスカウトなどの
職を経てシカゴ・カブスのマイナー、ローダイ・クラッシャーズのGMとなり、
‘66年には「スポーティング・ニューズ」誌により最優秀GMに選出されている。

かつてのマッカーサー元帥の側近で現在、83歳。

昭和24年に後楽園で初めて日の丸を揚げた男。

巨人軍名監督水原茂をシベリアから奪還。
「水原、ただいま還りました」は、この人が居なかったら不可能だった。

戦時中は、敵国語(日本語)情報将校として最前線に居たという。


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by lootone | 2007-11-30 22:09 | ・日本について