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カテゴリ:・怖かった話( 17 )

警官をしている友人が数年前に体験した話。

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(ネットからの抜粋です↓)


警官をしている友人が数年前に体験した話。

そいつは高速道路交通警察隊に努めているんだけど、
ある日他の課の課長から呼び出されたんだって。

内容を聞くと、一週間前にあった東北自動車道の事故の詳細を
知りたいとのこと。
その事故ってのは、一家四人が乗った自動車が平日の深夜に
中央分離帯に激突して全員死亡した事故の事だったらしい。


事件のことを少し詳しく話すと、高速を走行していた長距離トラックから
××インターチェンジ付近で乗用車が燃えているって通報があって、
夜勤で待機していた友人が現場に直行したんだけど、友人が到着した時
には既に乗用車の中にいた人は全員黒こげになって死んでたんだって。

その後身元の特定と検死が行われて、歯の治療記録から死んだのは
東京西多摩地方に住んでいる家族だってのがわかった。

死んだのは加藤正さん(仮名)とその妻の恵美、長男の正一、
長女の恵那の四人。

アルコールが検出されたとか、見通しの悪い場所だったとかの
事故を起こすような要因は見つからなかったんだけど、 特に
不審な点もなくそのままハンドル操作のミスによる普通の事故と
して処理されたんだって。

それで友人も特に何の変哲もない事故でしたよって
よその課の課長に言ったらしいんだけど、
その課長が実は、て言って呼び出した理由を話してくれたんだって。

その話によると、昨日の夜に少年が東京の○○市にある警察署に
訪ねてきて、
「僕が死んだとニュースでやっていたのだけど、僕はいったい誰なのでしょうか?」
って言ったらしい。

少年の話をまとめると、一昨日の朝に朝寝坊して起きたら家に
家族が誰もいない。

どこかに行ったのだと思いそのまま気にも留めていなかったが、
夜になってもだれも帰ってこないし連絡もない。

心配になって警察に連絡したが、子供の悪戯だと思われたのか
すぐ切られてしまった。

祖父母や親戚に連絡してみたが、誰も連絡を受けていないと言われた。
そのまま朝まで待っていたが、つけっぱなしのTVのニュースから、
自分も含めた家族全員が死んだことになっていると知った。

そんなことはないはずなので詳しく知りたくて訪ねて来たとの
ことだったらしい。

その話を聞いた友人はその事故の資料を改めて提出したんだけど、
見直してて不思議なことに気づいたんだって。

家族の歯科治療記録との照合で、父親、母親、長女は間違いなく
本人だって判明したんだけど、長男は頭部の損傷が激しく、照合が
できなかったと記録に書いてある。

しかも家族は青森近くで事故を起こしたんだけど、両親は中部地方出身で
東北に知り合いはいないことがその後の調査で明らかになっていた。

その当時は旅行にでも出かけた際の事故って事になったんだけど、
どうにも不自然なことが多すぎる。

それで友人は資料を提出してから数日後に、例の課長に事件の
進展を聞いてみた。

すると課長は口ごもりながらこう答えたらしい。

例の少年は身体的特徴や見た目は死んだ長男によく似ていたが、
歯形が違うため別人だと思われる。

そのことを告げると少年が錯乱したため、心療内科のある
警察病院に搬送した。

その後の調査で事故死した家族の家を調査したが、事故後誰かが
住んでいた形跡はなかった。

そのことを告げると、少年は完全に精神に異常をきたしてしまったため、
結局どこの誰だか分らず今も病院にいる。

もう済んだ事だから、今後かかわらなくていい。

友人はそこまで話すと最後にこう言った。

「 黒コゲの死体は本当は一体誰で、自称長男の少年は一体
誰なんだろうな?
それと、あの家族は何で平日に誰も知り合いのいないところに
向かっていたんだ?
俺は思うんだ。
あの家族は何かから逃げてたんじゃないかって。
何から逃げてたのかはわからないけどな。 」
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by lootone | 2015-01-20 09:14 | ・怖かった話

コロンブスって、本当は悪い人だった・・・汗。

[コロンブスの悪行]


コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。

コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。

やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。


1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。

再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。


コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。

スペイン軍は面白半分に彼らを殺す楽しみを決してやめなかった。

1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、 1496年の末までに、その3分の1までに減った。さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。

量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、 虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人。

http://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・コロンブス



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今日の作品「ちょっと休憩」
(2004年製作 キャンバス・アクリル絵具・ポスカ)
www.lootone.com
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by lootone | 2014-02-28 08:49 | ・怖かった話

「ごんごろどん」という作品が後味悪い。

(ネットからの抜粋)

「ごんごろどん」という作品が後味悪い。

作者は覚えていないけど、こんな感じ。



ごんごろどんは鬼だけど、心が優しく力持ち。

山の動物たちの人気者だった。

しかしふもとを通りかかった目が見えない村の娘を助けてあげたところ、心優しく美しいその娘に惚れてしまう。

そしてごんごろどんは彼女と結婚したいとまで考えるようになり、その娘の為に山を下り、村の為に力を尽くした。

しかしその娘は村の長者の娘。

長者とて娘を鬼にやるわけにはいかない。

なにより鬼を恐れていた。

そこで長者は娘が町に目の治療を受けに数日間家を空けた隙を見計らい、ごんごろどんを家に招き、こう告げる。

「娘を差し上げても良いが、私たちは人間だ。まず君の角を切り取ってくれないか」

ごんごろどんは悩むものの、彼女のためならばと思い立ち、血だらけになり角を切る。

しかし長者の要求はさらにエスカレートしていく。

「その長く鋭い爪は人間にないものだ。引っこ抜いてくれ」

「私の娘は目が見えない。君の目も潰してくれないか」

普通なら疑うところだが、山の動物たちとずっと暮らしていたごんごろどんは、人を疑うことを知らなかった。

『彼女のため。』その言葉を信じ、ついには全ての爪を剥ぎ、目を潰してしまった。

これで人間と変わらない。

ごんごろどんは傷だらけの身体を引きずりつつ、長者の家へ向かった。

しかし長者の家に入った瞬間、身体から更なる痛みが…

ごんごろどんは、長者が集めた村の衆から串刺しにされてしまったのだ。

ごんごろどんは何が起こったかも目が潰れていたためにわからず、力尽きる。

そして目の治療を終えた娘が、ちょうどその場に帰ってきた。

長者は娘に経緯を説明し、

「人と鬼とでは相容れない」

と説く。

しかし目が見えない自分に対して、ここまで優しくしてくれた人はいない。

娘はその場にいる人たちに、こう叫んだ。

「鬼は彼ではない。あなたたちだ!」

と。

そして娘は一生結婚することなく、ごんごろどんの墓を守り続けたというお話。
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by lootone | 2013-06-07 10:16 | ・怖かった話

バイカル湖の悲劇 ~人類史上、未曾有の大量凍死~

(ネットからの抜粋です↓)



バイカル湖は中央アジアとシベリアの中間に位置し、周囲を深い原生林に囲まれた三日月型をした巨大な湖である。

長さは640キロほどで総面積は31,500平方キロもあり、平均深度は730メートル。

この巨大な湖に約350の河川が流れ込んでいる。

別な表現で言えば、琵琶湖の面積の50倍、水量では850倍である。

これは北米の5大湖の全水量に匹敵する。

つまり、地球上の全淡水の2割の量を占めていると言えば、バイカル湖がいかに巨大な湖なのかわかるだろう。

この巨大な湖は、一年のうち半分は氷に閉ざされ、湖面全体が凍ってしまうという極寒の気象条件下に置かれている。

凍った巨大な湖面はシベリアの真珠とも謳われ大変美しいものである。

しかし、この湖の底には今も、25万とも言われる大量の人間の魂が眠っているという事実は意外に知られていない。

歴史の闇に葬られてしまった悲しい史実の一つがここにある。



話は85年前にさかのぼる。

時は、第一次大戦の最中。

連合軍陣営としてドイツとの戦いを続けていた帝政ロシアに、突如、革命が起き、ロマノフ王朝は崩壊してしまった。

1917年2月のことである。

やがて、政権を握ったソビィエト政府はドイツと休戦協定を結んでしまい、逆に、ロシア国内で帝政ロシアの復活を目指す白軍との戦いを始めた。

白軍は帝政ロシアのコルチャック提督に率いられ、東ウラルのオムスクという都市を拠点に、革命軍である赤軍と激しく戦ったが、1919年の11月についに占領されてしまった。

そこで再起をはかるために、東に逃れることとなった。

目指すは赤軍の追手のかからぬシベリアの奥地である。

白軍は50万人を数え、それに帝政時代の貴族、僧侶などの亡命者75万人が加わった。

うち、約25万人以上は女性や子供だった。

彼らは帝政ロシアを復活させるための軍資金約500トンのロマノフ金貨と財宝を携えていた。



1917年、2月、ロシア革命が勃発。

軍民合わせて125万人の大キャラバンは、赤軍に追い立てられるかのように死の強行軍を開始した。

しかし、目指す目的の太平洋岸に到達するには、8000キロもある広大なシベリアを横断しなくてはならなかった。

折しも、気温は急激に下がり恐ろしい冬将軍が到来していた。

気温は、連日零下20度まで下がり、烈風は恐ろしいうなり声をあげて吹雪となって人々に容赦なく襲いかかった。

吐いた息は音をたてて凍り、肺の中は霜のようになって呼吸することさえ出来なくなる。

まぶたの前にはツララがぶら下がり、泣きたくても涙は凍ってレンズのように目をおおってしまうのである。

行軍開始より凍死者が後を絶たなかった。

動けなくなった者はそのまま見捨てられた。

最初は励まし合っていた人々も、今は無表情で足を無意味に交互に動かしているだけだった。

毎日毎日凍死した死人の列がその跡に連なっていった。

20万の人間が一晩で凍死した日すらあった。

それでも、死の行進は休むことなく続けられた。

3か月がたった。

最初125万いた人々は25万人ほどに減ってしまっていた。

脱落し見捨てられた人間は大部分が凍死したのである。

やがて、燃料も底を尽き、運搬のための馬もあまりの寒さにことごとく死んでしまった。

ついには、500トンの金塊も見捨てられる時が来た。

それでも、残った25万の人々は、2000キロ離れたイルクーツクまでたどり着いていた。

しかし、人々の前には凍った巨大なバイカル湖がたちふさがっていた。



凍った湖面はガラスのようにキラキラ光り、厚さは3メートルほどあった。向こう岸までは80キロほどと思われた。

人々は今一度最後の安全をはかるために、渾身の力を振り絞ってバイカル湖を横断することとなった。

目前には、凍ったバイカル湖が横たわっていた・・・

25万人の人間の集団がトボトボ渡り始めた。

それは、まるで亡者の行進のような景観だった。

その時だった。

脳天をもカチ割るかのような恐ろしい寒波が彼らに襲いかかったのだ。

たちまち猛吹雪となり、バイカル湖の上は極限の寒さにまで下がり始めた。

その寒さは、零下70度にまで下がり、もはやいかなる毛皮を身にまとっていようと無意味であった。

湖面、中ほども行かぬうちに何千人もの人々は動けなくなり次々と凍死していった。

一人の婦人が急に産気づいたが、もはや、誰もそれに手を貸す者などなく、無表情で通り過ぎて行った。

産声がほんのしばらくの間、聞こえていたが、ほどなく、猛烈な風の切り裂き音にかき消されてしまった。

氷点下70度の激寒の中、25万の人々の死の行進が始まった・・・。

哀れな婦人は赤ん坊とともに、そのままの姿でコチコチに凍ってしまったのであった。

だが、残りのすべての人々にも、まもなく、同じ運命が待ち構えていた。

やがて、気の狂いそうになる寒さの中で、25万人の人間が折り重なるように凍死した。

一切合財の動くもの全てが凍りつき、もはや湖面上に生きているものは存在しなくなった。

累々と連なった凍死者を弔うかのように、猛吹雪が立てる恐ろしい切り裂き音は、悪魔の雄叫びのごとくいつまでも鳴り響いていた。

凍死した25万の屍は数カ月もの間、そのままの状態でとり残されていた。



やがて、春が来て雪解けの季節となった。そのうち湖面の氷も溶け出した。

そうして、兵士や女性、子供を含む25万の凍死した屍はゆっくりバイカル湖の水底深く引込まれるように沈んでいったのである。

遺体の中には、生まれたての赤ん坊とともに凍ってしまった婦人も含まれていた。

氷の割れ目から人々の屍は、湖底に引き込まれるように沈んでいった。

こうして、125万人いたキャラバンはことごとく死に絶えてしまった。

人類の歴史上、これほど多くの人々が凍死した事実は前例にない。

バイカル湖の暗い湖底には今も恨みを残して死んだ数十万の魂が眠っている・・・。




史実に隠された衝撃的な話
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_7_a.html

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by lootone | 2012-09-04 20:15 | ・怖かった話

犬に服を着せる理由

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(ネットからの抜粋です↓)


昔は、犬に服を着せている飼い主なんてアホだと思ってた。

でも、ある時、ああいう種類の室内犬は、外出させる際には
服を着せないといけないんだと知った。


ふつうの獣の毛は、表面に見えている人間の髪の毛みたいな太さの
毛と、その下に生えてる保温用の綿毛のような細いうぶ毛との二重
構造になっているが、愛玩用に美しい毛並みを追求して品種改良
された座敷犬の一部は長い毛足の愛らしい表毛を持つ代わりに、
本来あるべき保温用のうぶ毛が無いんだそうな。

だから、室外へ出すときは服を着せないと、人間を裸で放り出すのと
同じで、体温調節できない。


ほかにも、血統書付き血統書付きって犬や猫を飼ってる奴は
なんでそんなにこだわるのかと思ってたら、 単なるブランドの
誇示目的ではなくて(よく理解もせず飼ってる奴にはそういうのも
多いが…)、 きちんと血統書で父母や祖父母の品種のデータが
はっきりしてる個体じゃないと、現代のペット用動物は、人間が見て
「かわいい」と思う姿なら、本来の野生動物の性能から言えば
「奇形」として淘汰されるべき遺伝子でも故意に量産しているので
繁殖のときに不用意にどの品種でも掛け合わせてしまえば
親の代では保因者であってもぎりぎり「へテロ」で表面上は現れて
なかった致命的な欠陥が、劣性ホモとして子に発現してしまう
危険があるらしい。

特に、「これ犬か?」ってくらい元の狼っぽい体つきとはかけ離れて
しまってる愛玩犬は、交尾させていい相手はこの品種だけ、とか、
ごく少数に限られてるそうだ。

なんか、人間のエゴで生命を弄んでいて、 そのくせ飼ってる奴は

「犬、大好き! この子はペットじゃないわ、私の家族よ。」

なんてスカした顔で言ってるのかと思うと、勘違い溺愛で
服着せたり虚栄心を満たすための血統書だと思ってた頃より
尚さら嫌ぁ~な気持ちになった。
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by lootone | 2012-06-14 08:45 | ・怖かった話

旦那と離婚を考えています(悪気がなく人を傷つける人たち)

(ネットからの抜粋です↓)


よろしくお願いします。

旦那と離婚を考えています。

旦那は一見優しげな35歳公務員です。

ひとつおかしなところがあります。


以前旦那の希望で猫を飼っていました。

旦那は生き物を飼うのは初めて私は犬も猫も
実家で長く飼っていました。

猫も家や私達に慣れはじめた頃に具合が
悪くなってしまいました。

病院に連れていき薬を出してもらって、安静にさせていると
旦那が近づいてグッタリ寝ている猫にちょっかいをかけ
(猫じゃらしをしかける等)猫も弱々しく旦那と遊んで安静にできない。

旦那を叱りつけ、構わないでゆっくり寝かせてあげるよう
言っても私の目を盗んでまた構う。

猫は衰弱していき、家での安静は無理だと判断して
入院させました。

家に帰ると旦那が勝手にさみしいからと猫を退院させていました。

ぐったりと遊ぶ元気もなくした猫をゆすぶったり無理矢理
歩かせたり、その度に死んでしまうからやめるよう止めても
止めても目を離した隙にまたやる。

猫は死んでしまいました。

旦那は号泣していました。


その次に、もうダメだと止めたのに勝手に買ってきた文鳥とインコも
猫の時のように死なせてしまいました。

はじめは生き物を飼い慣れてないせいかと思ったけど、
異常に感じてきたところ私が風邪をこじらせてしまい寝込みました。

高熱で解熱剤の買い置きもなく買いに行く気力もない状態でした。

熱が39度を越えウトウトすると旦那が大声で呼ぶので、起き上がると

「ねえねえw TVおもしろいよっww」

寝かせてと頼み目を閉じるとバンバン叩いて起こす。

なに?と目を開けるとニヤニヤしながら

「なんでもなーいwww」

きついから寝かせてと強めに言ってウトウトしてると顔に水がかかり

なに?と起き上がると旦那がニヤニヤしなが水鉄砲のおもちゃを
かけていて枕元はびしょ濡れです。

「おっそーいww 起きるの遅www」

と言ってゲラゲラ笑っている旦那。

これでは休めないとトイレから実家に携帯で迎えにきてと
電話しました。

消え入りそうな私の電話の声を心配して父母がかけつけて
くれましたが玄関先で

「僕がついていますのでご心配なく、いま眠った~」

と旦那の話し声起き上がり、玄関先に行った時には父母は
帰ってしまっていました。


もうフラフラでした。

同じマンションの奥さんで旦那の愚痴を聞いてくれる方を
思い出しおおげさだけど、助けてとメールしました。

奥さんはすぐに駆け付けてくれ、玄関先で旦那にあしらわれる
こともなく奥まで来てくれました。

びしょ濡れの枕元や転がっている水鉄砲を見て、有無を言わさず
息子さんを呼び運び出してくれました。

私は肺炎になっていました。

ご近所の奥さんは命の恩人です。

旦那はションボリしていて

「病院つれてって言ってくないと」

と言いました。

異様だと思いました。

これまでのこと、今回のこともしかして故意にやってるのじゃないかと
思えてなりません。

そうなら死んでいった生き物は殺されたことになります。

思い知らせたいです。

復讐してやりたい。
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by lootone | 2012-04-28 13:54 | ・怖かった話

綺麗で優しそうな奥さんに傘を借りた。

(ネットからの抜粋です↓)


自分が小学生の頃、近所に斎藤慶子似の
綺麗で優しそうな奥さんが住んでた。

正直憧れてた。

学校帰りにいきなり激しい雷雨が降ってきて、
びしゃびしゃになりながら走っていたらその奥さんが

「もう大丈夫。おばさんの家で雨宿りしなさい」

と、自分を部屋に招き、びしょ濡れだった体を
優しく拭いてくれて、傘まで貸してくれた。

帰りがけに自分の名前と住所を聞いた後で、

「傘ならいつ返してくれてもいいからね。気をつけて帰ってね」

と笑顔で手を振ってくれた。


その時は土曜の夕方だったんで、休み明けてから返しに行こうと
思ったら、翌日の夕方に奥さんから電話があり、

「いつまで借りてるつもりだゴルァ!!」

と、受話器から怒号が聞こえてきて凍り付いた。

なんか物凄い怒ってて、

「今からそっちに行くから待ってろや」

みたいな事まで言われて、普段家には自分と
小さい弟しかいないからどうしようと怯えていたら、
旦那さんらしき男の人と我が家に二人でやってきて
(奥さんは車内で待機)、旦那さんに頭を下げられて
何が何だかわからず…。

とりあえず借りた傘はお返ししたけど、

「あのおばさん(奥さん)に声をかけられても
絶対に付いていかないでね。

周りのお友達にもそう伝えてね。

怖い思いさせてごめんね」

と言って帰っていった…。

奥さんは車内で目をカッと開いたまま首を捻ったり
何か一人ごと呟いてるのがはっきり見えて恐ろしかった。

もう二度と人様から傘は借りません。

申し訳ありませんでした。
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by lootone | 2012-04-02 09:59 | ・怖かった話

教育ママ

(ネットからの抜粋です↓)


俺が小学生5年の時の話。


ウチは所謂スパルタで、中学受験に向けて小学1年から言われる侭に猛勉強。

母さんは明るくて優しいけど、その分勉強超厳しくて。

でもそのお陰で成績も結構優秀。

四○大塚の試験で賞やら何やら貰ったりで、 毎日通ってた早稲○アカデミーでも
何か少し一目置かれてたと言うか、少し特別扱いされてた。


ある日の朝、

『今日お母さん午後いないから。カギを忘れずに持って出てね』

と言われたんだ。

塾は毎日17時~21時。

学校から帰るとランドセルから塾の鞄に持ち変えてチャリで通ってたから。

はーい、とか返事して学校に行った。

で、放課後ちょいグラウンドで遊んで帰った俺。

カギ持って出なかった事に気付いて超狼狽える。

当時携帯なんか無かったし、文具は持ってるから手ぶらよりは…って、
仕方なくランドセルで塾行ったの。

ランドセル姿の俺に先生も友達も皆笑ってて、『バカで~w』って感じ。

俺も適当におどけて笑ってたんだ。

まだ何も気付いてなかった。

気付く筈も無かったんだけど。


で、塾も終わり、何時もする様に、塾備え付けの電話から帰宅の旨
伝えようとして受話器を取った。

『…プルルル…ガチャ』

「あ、母さん?塾終わったから帰る」

『…』

「…もしもし?」

『…トンッ………トンッ……』

「母さん?」

『ガチャン!!…ツーッ、ツーッ』


終始電話口は無言。

途中に聞こえた音は良く分かんないけど、硬い物がぶつかりあってる様な音だった。

俺は「?」と思いつつも皆と帰りたくて、電話かけ直さずに塾を出た。


家につくとまず異変。家の外灯が点いてない。

ウチは帰る時にチャイム鳴らす習慣があって、鳴らすと廊下の電気を母さんが
点けてくれるんだけど、今日はそれも点かない。

でも鈍感な俺は気にせず門を通過した。


ウチは玄関開けると廊下が真っ直ぐ伸びてて左手にキッチン。

玄関扉脇の磨りガラスから何となく中を見たら、キッチンの方から光が漏れてた。

『あぁ、何だ居るじゃん』

ちょっと安心して玄関を開ける。

「ただいまー」

返事はなかった。代わりに、

トンッ……トンッ……

と、硬い物がぶつかり合う音が響いてる。

「…母さん?」

もう一度呼び掛けながら中に進むといきなり、ブニュッ、と何か踏みつけた。

怪訝に思いながらも無視して暗い廊下を進んで、キッチンの前に立って中を見たんだ。

あの時の光景は一生忘れない。


そこに母さんが立ってた。

まな板に向かって右手に包丁持って。

左手はだらんと垂れてて、まな板の上には粉々になったキャベツ。

それに包丁が一定間隔で降り下ろされ、

トンッ……トンッ……

って音が響き続けてる。

床は廊下まで飛び散ったキャベツまみれ。


「……ただいま」

『…』

「……」

『…何してるの?』

「…ぇ?」

『…鞄』

「あ、…カギ忘れて…」

『何してるのって聞いてるの!!』

ダンッ!!!

凄まじい勢いで降り下ろされる包丁。

ガタンと音を立てて跳ねるまな板。

ついでに飛び散るキャベツ。

「…あ、の…」

『意味ないでしょッ!!意味ないでしょッ!!アンタは!!鞄も教材もなしに
何してるのッ意味ないのよ!!!』

あまりの衝撃に泣く事もできなくて言葉も出なくて、初めて見る母親のヒステリーに
胸が苦しくて怖くて、その後もヒステリックに叫び続ける母さんを眺めて立ち尽くしてた。

やがてヒステリーが収まって母さんが何も言わなくなってから、

「…ごめんなさい」

と呟いて、俺は玄関脇の自分の部屋に向かって暗い廊下を戻った。

戻る途中、(さっき踏んだコレはキャベツだったんだ…)とか妙に冷静に考えながら
部屋に入った。

そのまま宿題を始めて小一時間後、親父が帰ってきた。

「ただいま~」

なんて間の抜けた声が妙に温かくて、俺は体が震えた。


それから数分後、キッチンの惨状を見て、母さんを上手くまとめたであろう
親父が部屋にきた。

凄い柔らかな笑顔で間延びした声で俺の名を呼んで、大きな手でわしゃわしゃと
俺の頭を撫でる。

堪えられなくなって、色んな物が溢れそうだったけど、出るのは涙ばっかりだった。

俺的に凄く怖くて温かった事件。

親父には今も頭が上がらない。
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by lootone | 2012-03-02 10:21 | ・怖かった話

壮絶としかいいようがない。野田聖子議員の子ども・真輝くんの闘病人生。

壮絶としかいいようがない。

野田聖子議員の子ども・真輝くんの闘病人生が――。

野田は今年1月、50歳という超高齢出産を果たした。

しかもアメリカで第3者から卵子提供を受けての
体外受精による妊娠の末だった。

超法規的手段である。

10年来不妊治療を続け、その総額は1千万円以上と試算する
医療関係者もいるほどのセレブベイビーでもある。


しかし、生まれてきた真輝くんにはいくつもの障害があった。

妊娠中に肝臓と心臓の異常が判明し、生まれてからは
食道閉鎖症も見つかった。

生後11カ月で7回もの手術を受けた。

最初は胃に栄養を送り込むチューブの手術、次が肝臓を体内に
入れる手術、食道閉鎖症の手術、心臓の手術。

10月の心臓手術後は呼吸停止になり、緊急手術、気管支切開、
人工呼吸器装着、さらに脳梗塞で右半身マヒ。

11カ月になるのに体重は5キロに満たず、一時は17本ものチューブを
つけていたというーー。

他人の子どもとはいえ、あまりに忍びない。


野田の妊娠が公表された時点で多くの批判や議論があった。

日本では不妊治療が認められていないほどの高齢、障害のリスク、
米国での卵子提供、高額の治療費を払える特権階級、法整備の問題などなど。

だが野田の「自身」告白を読むと、そんな社会的議論以前の問題では
ないと思う。

もちろん、一番大変な思いをしているのは野田聖子ではなくて
生まれてきた真輝くんだ。

生まれてからずっと集中治療室で、言葉も発せない、右半身も動かない。

何度も苦しい手術をしてきた。

かなり無理やりの超法規的かつ超高齢不妊治療の末に
生まれてきたというのにーー。

http://www.cyzowoman.com/2011/12/post_4819.html


にもかかわらず、野田の物言いの主体はあくまで「自分」である。

「自身」記事にも「(野田の)出産」という言葉は乱用されているが、
「(真輝くんの)誕生」という言葉はひとつもない。

さらに野田は、産後に子宮を摘出し「もう1人などと考えていたが、
もはや望むべくもない」と泣き濡れたこと、母乳が出ないで内出血で
乳房が真っ青になったこと、 「人間ってこんなに泣けるものなのか」
とのエピソード、さらに子どもの人工呼吸器用のバンドを手作りする
ためにミシンを買ったことなど、さかんに、そして切実に自分の感情を
吐露するのだ。


野田の妊娠、出産、子育てエピソードは、真輝くんが主体なのではなく、
あくまで主人公は野田自身だ。

「こんなに大変な思いをしてまで子育てをして頑張る自分」。

しかし壮絶な戦いを強いられているのは、野田ではなく真輝くんだ。

そもそも政治家という公人が特段の問題提起もなく(今回の記事はまさにそう)、
感傷的にしかも恒常的に事態を公表するのはどんな意味があるのだろう。

これを続ける野田の根源は、親や人間のエゴなどという生易しいものではない。

はっきりいって 、"政治家のエゴ"ではないのか。


野田のこれまでの出産手記や告白記事を見続けて、これまでの違和感の
正体が段々分かってきた。

これは高齢出産の物語ではない。

政治家のエゴ物語だと。

だから野田ケースは子どもを切望する多くの不妊カップルや法整備には
何の役にも立たない。

一般性もない。

だから不妊に悩む女性や社会的問題として捉えるのではなく、政治家の性分、
自己愛、執着の強烈さとして考えるべきだと思う。


http://news.2chblog.jp/archives/51660229.html
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by lootone | 2012-01-30 11:48 | ・怖かった話

お婆さんの狙い

LOOTONE ARTWORKS

(ネットからの抜粋です↓)



この話は実話です。

私自身も体験したのですが、当時はなにも気付きませんでした。

霊などはでません。


それはまだ私が幼いころです。

記憶は曖昧なのですが、確か妹がまだ赤子だったので、
私は小学生の低学年だったと思います。


当時妹はひどい小児喘息で、診察と常備薬を処方してもらうため、
車で1時間ほどかかる遠方の病院に通っていました。

私は病気でもないのに、よくそれについていきました。

なぜなら、幼いころはたとえ病院だろうと遠くに行くだけで
楽しかったですし、それに道で外食をすることがあったのです。


一方、手間がかかる私をつれていくのを母は嫌がり、
「家にいなさい」と言っていました。

私はそれでも無理を言って病院についていきました。

病院では、私はいつも妹が診察をうける間、病院内を
うろうろと歩いておりました。


いつものように広い病院を探検する気持ちで歩いていると、
いきなり、院内服を着た知らないお婆さんから話しかけられました。

「ぼく、飴いる?」

そのお婆さんは、真っ白な白髪にまばらに残る黒髪が印象的で、
体格は小柄、それに酷く痩せていました。


顔色も悪くて、不健康そうに見えました。

思い詰めたように暗くて、疲れきったような表情に見えます。

なにより、私を見る目が怖かったのを覚えています。


お婆さんは、「自分はここに入院している」のだといいました。

前からよく病院内を歩く私をみて、話しかけたかったのだそうです。

「寂しいから友達になって欲しい」といいました。

私はお婆さんを怖いと思ったので嫌だと思い、
黙って首を横にふり、母の元に逃げました。


お婆さんが、そろそろと私のあとをついてくるのがわかりました。

私は妹を抱く母を見つけると、泣きながら駆け寄り、お婆さんを
指差しながら「変なお婆さんがついてくる」といいました。

お婆さんはいつの間にか僕のハンカチを持っていて、
「落としましたよ」と言いました。


母は、「すいません」と謝りハンカチを受け取ると、私には
「失礼なことをいうな」と叱りつけました。

お婆さんは「いいんですよ」と母に近寄り、そこで驚いたように
口を開けると、涙を流しはじめました。

お婆さんは母をみていいました。

「娘にそっくり」

お婆さんには10年以上昔、母にそっくりな娘がいたそうで、
その娘さんを病気で亡くされてたそうなのです。

母は、そんなお婆さんを可哀想な顔で見ておりました。


それからお婆さんは、母と妹が病院に行く曜日には、
入り口で待つようになりました。

そうして、妹と僕にお菓子や玩具をくれるのです。

「死んだ娘といっしょにいるようだ」と喜ぶお婆さんを、
母は断れないようでした。


いつの時間にいっても入口にいるお婆さんが気味悪くなり、
私は病院へはついていかないようになりました。


そうして何ヵ月か経ったころでしょうか。

母のほうから私に、「病院についてこない?」と誘うようになりました。

私は不思議に思いながらも、帰りに美味しいものを
ごちそうしてくれるかもと思い了承しました。


病院につき、妹の診察が済んで母と受付を待っているとき、
今日はお婆さんはいないんだ。もう退院したのかもしれない。と
思っていると、背後から声がしました。

「見つけた」

振り返ると、例のお婆さんが笑って立っていました。


母の顔はひきつっています。

お婆さんは院内服ではなく、私服をきていました。

「○○(母)ちゃん、最近月曜日に見ないから寂しかったのよ。
通院する曜日変えるなら教えてよ」


お婆さんは、私を見て笑いました。

「久しぶりね○○くん。今日はおばさんがご飯につれてあげるね」


断る母を強引に説き伏せて、お婆さんは私達を近くの
ファミレスにつれていきました。

食事の間、お婆さんはずっと笑っていました。


お婆さんと母が、変な会話をしていたのを覚えています。

「ふたつあるんだからいいじゃないの」

「いい加減にしてください」

「いいじゃないの」

「警察を呼びますよ」

「じゃあこれを読んで」

お婆さんは母に封筒を渡しました。


その日の帰りの車は、いつもとは違う道を走ったのを覚えています。

それと、車の中で母が変な質問をしてきたことも。

「Y(妹)ちゃんを可愛いと思う?」

「……うん」

「あなたはお兄ちゃんなんだから、なにかあったらYちゃんを
守らないといけないよ」

「うん」

「来週からYちゃんと一緒に病院にきてそばから離れたらいけないよ」

「うん」


当時は、何故母がそんなことを言うのかわかりませんでした。

それから毎回病院でお婆さんと私達は会いましたが、
ある日を境に急に見なくなりました。


それから十年以上経ち、母に「そういえばあのお婆さん
どうしてるんだろうね?」と尋ね、返ってきた答えに私は震えました。

「あの人は多分亡くなったよ。それに、お婆さんじゃなくて私と同じ年なの」


私は驚きました。

当時の母は30才代ですが、お婆さんはどう見ても60才は
いってるように見えたのです。


母から聞いた話はこうです。

退院してからもいつも病院で会うおばさんを不思議に思い、
母は知り合いの看護師に、お婆さんはそんなに悪い病気なのかと
尋ねたそうです。

おばさんは病気ではなく、自殺未遂で入院していたというのです。


娘が亡くなったショックで自殺未遂をしたお婆さんの外見は、
みるみる老けていきました。

(亡くなった娘というのは、まだ赤ちゃんだったそうです)

それなら母と似ているはずがありません。


そういえば、お婆さんが母に向かって「娘にそっくりだ」と言った時、
妹が母に抱かれていたことを思いだしました。

お婆さんは妹に向けて言っていたのです。


最初は優しかったお婆さんは、次第に母に妹を譲るよう
懇願してきたらしいのです。

もちろん母は断りました。

妹をさらわれる、とお婆さんが怖くなった母は、私を見張り役として
病院に付き添わせてたそうです。

そして、封筒の中の手紙を見せてくれました。


短い文でした。

『近く娘のところに行きます、あなたのせいです、ずっと恨みます』
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by lootone | 2012-01-25 00:17 | ・怖かった話