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そこに意味はあるのか?

(ネットからの抜粋です)



「やる気が失せる瞬間」というものがあります。



時間があればジグソーパズルをやっていたAさんはある日、友人に「それって何の意味があるの?」と訊かれ、その瞬間「もうやめよう」と思ったそうです。



自分はジグソーパズルが好きなわけではなく単なる暇つぶしだった。



それに気づいてしまったら途端に虚しくなってしまったのです。



今やっていることの目的が見えなくなったとき、人はやる気を失います。



大昔のローマには、穴を掘っては埋め、埋めてはまた掘ることを延々と続けさせる刑罰があったそうです。



肉体的な苦痛を与えることだけが目的ではありません。



人は無意味なことを繰り返しさせられることに耐えられないからです。



穴掘り刑罰の目的はむしろ精神的な苦痛を与えることにあり、実際に気が狂ってしまった囚人もいたようです。



この刑罰は、目的のない行為がいかに虚しいかを象徴しています。



もしも穴掘りに「井戸を作れ」という大義名分があったら、実際の行為はともかく囚人にとっては救いだったかもしれません。



しかし、それでは刑罰になりません。



では、「これは体を鍛えるためのエクササイズなんだ」と自分に言い聞かせてみたらどうだったでしょう。



刑期を終えて外に出たとき、体が鈍っていては話にならない。



穴掘り刑罰を利用して今から体を鍛えておこう。



そんなふうに考えれば、その瞬間から穴掘りの意味はまったく変わってくるはずです。



また、目的を見つけたことで取り組む姿勢も変わってくるでしょう。



冒頭のAさんも最初から「暇つぶし」を目的にジグソーパズルをしていたら、「何の意味があるの?」という問いかけに動揺することはなかったのです。



「意味がない」のではなく「意味を見いだせなかった」自分にやる気を失ったのでしょう。



目的や意味はあらかじめ用意されているものではありません。



他人が与えてくれるものでもありません。



商売が大変なときは「こんなことをして意味があるのか」と思いがちですが、目的や意味は自分で見いだすものです。



今やっていることの意味を見いだせたとき、必ずそこには大きな価値が生まれます。
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by lootone | 2013-09-14 10:18 | ・ある出来事と言葉

ややこしい

(ネットからの抜粋)


性同一性障害で更に、心が同性愛者と言うややこしい人が居るらしいこと。

生まれた性別は男性で、女性になることを望んでいるけれども、
好きになるのは女性(男だけど、女として女が好き)、と言った風に
だから性転換手術をする上で悩むとかなんとか・・・。





昔、友達(女)の彼氏が男とも付き合ってることが発覚して、
ゲイなのにカモフラージュで自分と付き合ってたのかと泣いて責めたら、
「俺とおまえはレズに決まってんだろう!」と説得されたことがある。
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by lootone | 2013-09-06 12:02 | ・ある出来事と言葉

ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。

(ネットからの抜粋です↓)



植物状態の人と、今日も会う。

仕事で。

ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆

って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。

その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。

何も喋んない。

何も食べない。

自分で息すらできてない。

人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。

その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。

ただの一期一会。私はこの人を知らない。

ある日、玄関で倒れた。

脳出血だったみたい。

1人暮らしで、家族はいなかった。

地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。

色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は、「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、つまりは「死んだら、連絡ください」ということを言った。

可哀そうとは、思わなくなってしまった。

もう。

人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。

本当に色々な人生が人にはあって。

長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。

仕方ない。

脈は正常。

呼吸は一定。

でも植物状態。

家族は全てを病院に任せた。

生きてても、死んでても、なんでもいい人。

主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。

愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。

この人は、生きているのだろうか。

この人は、死んでいるんじゃないか?

もうほとんど死んでいるんじゃないか?

脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、私は見失う。

命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。

血圧が少し、安定しない夜があった。

私は医師に報告した。

血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。

でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、「自然に看取ってあげよう」と言った。

死っていうのはさぁ~

医療の敗亡じゃないんだよぉ~

むしろね、むやみに色々やることのほうが~

かえって人間の尊厳を奪い~

人間らしさを奪う行為にぃ~

「美しい」と思う。

そういうのって。

美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。

言葉で聞くと。

文で読んでも。

人間らしくないよね。

機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。

しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。

うん。

うん。

うん。

先輩にそう伝えると、「うん・・・」

後輩にそう伝えると、「はい・・・」

私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。

その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、全然違う話をしてたのに後輩が、

「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」

と、言った。

「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー? 私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」

と先輩がクスクス笑った。

手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。

毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。

彼の名前を耳元で呼び掛ける。

体を吹く。

腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。

毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。

汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。

そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。

「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。

毎日、毎時間、違う。

脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。

どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、

この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。

わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。

生きているとしか思えない。

意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、

今ここにある命が圧倒的すぎて、

命すげぇーって思って、

死んでく人もたくさんみるからこそ、

もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、

「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、

ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。

問答無用に。

命がすごい。

学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、人間なんて、どう生きたって、人間らしくしかならないわけで。

法律とか、もう色々あるんでしょうけど、その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。

すごすぎる。

脳死という問題があり。

延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。

命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。

でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。

植物状態の人と、今日も会う。

明日も明後日も、やっぱり会いたいと思っている。
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by lootone | 2013-09-03 10:04 | ・ある出来事と言葉